1972年

浅井が自分の体験をもとに、住民運動雑誌に「母乳の出ない人はいない」を連載し、母乳運動を始めた 


1974年

第27回世界保健総会で、母乳育児の世界的な後退が指摘される

1978年

第31回世界保健総会で「母乳育児を推進し、母乳代替品の適切でない奨励や販売を規制するように」という提言が採択

1981年

WHOユニセフ共同で「母乳代用品の販売戦略に関する国際基準」をWHO総会に提出

※赤ちゃんにやさしい病院(ユニセフ資料)より

1982年 アンケート調査、インタビュー実施

立石恭子先生(小児科医)の紹介で、保健所や病院の専門家と話し合う機会を得る

保健所の協力を得て、乳幼児をもつ100人の母親を対象に、希望する授乳方法や意識などを調査

1983年2月 サークル発足

「母親どうしで励ましあって

   楽しい母乳育児ができるように…」

当時 子育て中のお母さんたち数人のボランティア活動として京都に誕生

 

「母乳育児の集い開催」記事が、朝日新聞(全国版)に掲載される 

全国の母親から問合せ・相談の電話が殺到 

月1回の集いに、京阪神から毎回約60人参加

 

山内逸郎先生(国立岡山病院 小児科医)に医学顧問になっていただく

1983年7月 機関紙”おっぱいだより”を発行

”おっぱいだより”発行が全国紙で紹介され、1週間で約2000人の購読申込みがある

 

1985年 全国交流会を開催

北海道から九州まで、1000人以上の授乳中の母子、妊婦、専門家が参加

全国交流会をきっかけに”おっぱいだより”の読者どうしが集まり、各地で母乳育児の集いが開かれるようになる


1986年 書籍「おっぱいだより集」刊行

3年分の”おっぱいだより”記事をテーマ別に整理して刊行

書籍刊行を機に、医療専門家との交流が増える

医療専門家の研究会に招かれ、サークル活動を紹介する機会が増える


1989年

WHOユニセフの共同声明を発表

世界中の産科医療施設に「母乳育児成功のための10カ条」遵守を呼びかける

1991年

国立岡山病院(当時)が世界で最初の「赤ちゃんにやさしい病院」に認定される

1991年

母乳育児の促進キャンペーンの開始

1992年

WABA(世界母乳育児推進連盟)設立 

8月1日を「世界母乳の日」に制定

1992年

「母乳をすすめるための産科医と小児科医との集い」が山内逸郎先生のよびかけで開催される

1993年 サークル10周年 おっぱいフェスティバル開催


1993年

「母乳をすすめるための産科医と小児科医との集い」が「会」として発足

1993年

山内逸郎先生 ご逝去

1994年 ”おっぱいだより”休刊

11年間発行を続けた”おっぱいだより”、監修いただいていた山内逸郎先生のご逝去に伴い、尊敬の意をこめて休刊を決定

その後”母乳育児サークルだより”として、形式を変更して再出発

現在に至る(2012年8月時点で、62号 15年にわたり継続中)


1994年

”母乳をすすめるための産科医と小児科医の会”が「日本母乳の会」として発足

1997年 書籍「続・おっぱいだより集」刊行


1998年

ダイオキシンの母乳汚染報道に対し、厚生省(当時)が母乳の有用性について見解を発表

2003年 20周年記念 おっぱいフェスティバル開催

 

2006年7月 ぱおぱおの家に例会会場を移転

 

2008年9月 母乳育児にやさしい社会をめざして

母乳育児サークル主催イベント 25周年記念講演会

 

2011年8月 第20回 母乳育児シンポジウム「伝える伝わる母乳育児」

母乳育児サークル協力イベント

 

2012年11月 ぶんきょうサテキャン伏見大手筋に例会会場を移転

 

2013年2月 30周年記念 おっぱいフェスティバル開催

母乳育児サークル主催イベント 30周年記念講演会+ワークショップ